NAVER matome - Unsolved great mystery: Who made the great statue of Budda of Kamakura?

NAVERの記事にしたように、鎌倉の大仏は奈良東大寺の大仏と並ぶ有名なものだが、誰がどうして作ったのかというと意外にもわかっていない。鎌倉時代の歴史の重要資料である『吾妻鏡』でも、何故か鎌倉大仏の造営に関する記述は簡素なもので、1238年に僧の浄光が勧請して造営が始まったという。当然のことながら、鎌倉幕府の要人も大仏と大仏殿の建立には参加したと思われるが、事実は歴史の闇の中に閉ざされてしまっている。

馬淵和雄の『鎌倉大仏の中世史』はこの問題への重要な鍵を与えてくれる。彼が注目したのは極楽寺が鎌倉時代に絶大な勢力を持っていたこと。極楽寺を開山したのは忍性という律宗の僧侶。現在だと一番有名なのは日蓮とのエピソードだ。

八代執権北条時宗の命を受けて忍性が雨乞いをしたが失敗に終わり、日蓮が雨乞いに成功したという話だ。日蓮は忍性が俗世まみれの僧侶だと敵対心を持っていた。

忍性は東大寺との関連も深く当時の宗教上のトップとして君臨していたと思われる。だが、その反面で、彼は貧民救済にも熱心で各地に悲田院を開設していった。極楽寺もその中心的な役割を果たしていた。

大仏建造に関与するだけの莫大な財力と影響力の背景になっていたのは、海岸部の利用料などを徴収する管理者になっていたためである。

もう一つのよく理解できない点は、忍性が石工と鋳物師の集団を関東に連れてきたという話だ。